松山地方裁判所 昭和36年(ワ)127号 判決 1966年10月20日
原告 本谷ミチヱ
被告 亡重松悦二郎訴訟承継人 重松泰子 外一名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「被告らは、原告に対し、松山市新立町官有地無番地所在の家屋番号第一一号木造瓦葺一部二階建々物一棟延七六・二九平方メートル(二三坪八勺。ただし増築により実測床面積は延九四・七一平方メートル-二八坪六合五勺-となつている)を明渡し、且つ各自昭和三六年四月二一日以降右建物の明渡済に至るまで一ケ月金四、五〇〇円の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
松山市新立町官有地無番地所在の家屋番号第一一号木造瓦葺一部二階建建物一棟延七六・二九平方メートル(二三坪八勺。ただし増築により床面積は延九四・七一平方メートル-二八坪六合五勺-となつている。以下単に本件建物と略称する。)は訴外本谷カドが大正末期ないし昭和初期のころ私費を投じて建築し所有してきたものであるが、右訴外人が昭和二三年七月二八日死亡したため、その相続人である原告は相続により右訴外人の本件建物に対する所有権を承継取得した。
ところが、被告重松泰子の夫であり同重松宗男の養父であつた(以下被告ら先代という)亡重松悦二郎は昭和三四年一〇月一六日から何等の権原なくして本件建物を占有していたところ、本件訴訟係属中の昭和四〇年四月二一日死亡したので、その相続人である前記被告重松泰子及び同重松宗男の両名が相続して本件建物に対する重松悦二郎の占有を承継(被告重松宗男については養母である同重松泰子が代理占有)し、本訴訟手続を受継した。
なお、原告は、被告ら先代亡重松悦二郎並びに同人を相続した被告らの右不法占有により本件建物の使用収益を妨害され賃料相当額の損害を蒙つている。そして本件建物の賃料は月額金四、五〇〇円を下らない。
よつて原告は、被告らに対し、所有権に基き、本件建物の明渡しを求めると共に、各自本件訴状が訴訟手続受継前の被告亡重松悦二郎に送達された日の翌日である昭和三六年四月二一日から右建物明渡済に至るまで一ケ月金四、五〇〇円の割合による損害金の支払を求めるため、本訴請求に及んだ。
と述べた。
証拠<省略>
被告両名訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、答弁として、
訴外本谷カドが原告主張日時に死亡したこと、原告が右訴外人の相続人であること、被告ら先代亡重松悦二郎が本件建物を占有していたこと、同人が原告主張日時に死亡し被告重松泰子および同重松宗男がその占有を承継したことを認めるがその余の事実を否認する。
本件建物はもと訴外亡本谷カドを代表者とする宗教団体国正松山婦人会が一般から募集して得た寄附金の大部分を費やして、無縁仏を祭るため建立した無縁塔とともに同一地所内に建築された守堂なのであつて、公共の用に供する建物としてそもそも国正松山婦人会の会員の共有に属するものであつた。しかるところ、終戦後、右国正松山婦人会は解散したが、この一事をもつて、本件建物が右亡本谷カド個人の所有に帰したと解すべき筋合はなく、その公共の用に供せられる目的からしてその所有権は松山市に帰属したものと解すべきである。而して、亡重松悦二郎は同市から右無縁塔とともに本件建物の管理を依頼されて、昭和三五年秋ごろより自ら無縁塔保存会を結成してその管理のため本件建物を占有していたものである、と述べた。
証拠<省略>
理由
一、訴外亡本谷カドが昭和二三年七月二八日死亡したこと、原告が右訴外人の相続人であること、被告ら先代亡重松悦二郎が本件建物を占有していたこと、同人が昭和四〇年四月二一日死亡したのでその妻である被告重松泰子および直系卑属である被告重松宗男(同被告はその養母である被告重松泰子が代理占有)がその占有を承継したことは当事者間に争がない。
二、ところで、原告は、本件建物は原告先代訴外亡本谷カドが私費を投じ大正末期ないし昭和初期のころ建築し爾来これを所有してきたもので、右訴外人死亡後原告が相続によりその所有権を承継取得した旨を主張し、被告らは原告の右主張事実を否認するので、以下この点について検討する。
成立に争いのない甲第一三号証、乙第二、第五、第六、第一八及び第二〇号証、訴訟手続受継前の被告重松悦二郎の本人尋問の結果により真正に成立したと認められる同第一号証の一ないし三及び第一五号証、証人松田富田郎、同岡田茂、同松友サカエ、同玉井雪恵、同逸見広吉(但し後記措信しない部分を除く)、同久米登、同久米綾太郎、同滝正梅吉(但し後記措信しない部分を除く)、同岡宮ハルヨ(但し後記措信しない部分を除く)の各証言、並びに原告本人尋問の結果(第一回、但し後記措信しない部分を除く)及び訴訟手続受継前の被告重松悦二郎の本人尋問の結果を綜合すれば、原告先代訴外亡本谷カドは敬虔且つ熱心な日蓮宗の信徒であり国正松山婦人会という名称のもとに宗教的活動をする傍ら社会事業にも力を尽くし大方の信望をあつめていたのであるが、大正十二、三年頃松山市が石手川堤防(同市新立町二丁目)上にあつた多数の無縁墓を整理して同所附近を公園にするという計画のあることを聞知し、右無縁墓を合葬供養することを発起念願し、善男善女の寄進を仰ぎ右無縁仏の供養塔を建立しその祭祀を永続せんとして、諸官庁をはじめ一般市民の篤志家を歴訪してその趣意を説明し賛同を得た上寄附を仰ぎ建設資金等の調達を図るとともに大正一四年四月日蓮宗国正松山婦人会代表者本谷カド名義をもつて松山市長に対し、右供養塔の祭祀を、仏式日蓮宗の式具をもつて春秋両彼岸と盂蘭盆の三回位国正松山婦人会並に同会協賛会基金の利子並びに篤志家の寄附金を資金として建設予定の供養堂において執行し、なお供養堂には常時堂守を置き祭祀を断やさないようにするから、日蓮宗国正松山婦人会の手において行うことを許可されたい旨の申請をなし、松山市新立町二丁目官有地無番地に供養塔建立のための土地使用の許可を得、前記寄附による建設資金をもつて供養塔を建立し、大正一四年一〇月一八日前記無縁仏を合葬すると共に供養塔の落成を記念し盛大な法会を営んだこと、右本谷カドは前記念願を果たすため前記篤志家から仰いだ寄附に私財の一部を加えて、右供養塔建立後一、二年して右供養塔の守堂として本件建物を建築し、その後二回にわたりこれを増築したこと及び訴外本谷カドは前記供養塔並びに守堂の建設及び合葬無縁仏の祭祀をするため日蓮宗国正松山婦人会という名称を用いて寄附の募集等の活動を行つているのであるが、しかしその名称から窺われるような社団又は財団的な実体は何ら具備しておらず、それは本谷カド個人が前記事業を遂行するため便宜的に用いていた名称にすぎないことが認められる。そして右認定に牴触する証人滝正梅吉、同逸見広吉、同岡宮ハルヨの各証言並びに原告本人尋問の結果(第一回)は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠は存しない。
そうすると、右供養塔並びにその守堂としての本件建物は、訴外本谷カドが石手川堤防上に存在していた数多の無縁墓を合葬し無縁仏の霊を永久にとむろうことを発起念願して一般市民の篤志家を勧説して得た寄附により建立ないし建築されたものであるから、(本谷カドが前記認定したようにその私財の一部をその建築に投じたとしても、それはカド自身として無縁仏を永久に祭祀するため寄進したものと認むべきであるから)これらの建立ないし建築の衝にカド自らが当つたことの一事をもつてこれらを同人の固有財産に属するものと断定するのは早計である。そして、以上認定したような本谷カドが無縁仏の祭祀を永続的に行うことを目的とし篤志家の寄附を仰いで供養塔や守堂としての本件建物を建立ないし建築してその祭祀を実施してきた事実関係の実体は信託法における公益信託に符合するものであるが、本件では受託者たるべき本谷カドがその信託引受につき主務官庁の許可を受けている事実を証明する証拠がないので直ちに信託法上の公益信託であるとは解し難いけれども、結局該事実関係が法的には信託法上の公益信託に類似するものとして、公益信託に関する信託法上の規定を類推適用すべきものと解する。してみると、右供養塔は勿論その守堂である本件建物は無縁仏の祭祀のため本谷カドに信託されたものであつて、同人の固有財産とは異別のものと解するのが相当である。(信託法第一条、第六六条参照)従つて、本谷カドの死亡により相続が開始したとしても、その相続人である原告が信託的財産たる本件建物の所有権を承継取得すべき筋合はなく、また受託者としての地位を当然に承継するものでもないといわなければならない。ただ本谷カドの死亡した後は、暫定的に、受託者である同人の相続人として、原告は新受託者が信託事務を処理することができるまで、右の信託財産である無縁塔、守堂を保管し、且つ信託事務の引継に必要な行為を為すべき管理権を有するに止まるものと解するのが相当であるというべきである(信託法第四二条第二項参照)。
従つて本件では爾後原告において右の管理権に基き、新たに主務官庁の許可を得て、公益財団法人を設立するか正規の公益信託による方法などを講じることができるのは格別として、訴外亡本谷カドの相続人として原告に当然本件建物の所有権が帰属したことを理由に被告らに対し本件建物の明渡し等を求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 谷本益繁 安芸保寿 宗哲朗)